株式会社ゼニス

テキストが入ります。
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万葉集に詠まれた紫陽花(2020年6月)

ゼニスでは毎年テーマを決め、和歌・俳句・偉人の名言などにオリジナルの英訳をつけて、写真やイラストとともに毎月のはがきをお送りしています。今年は新型コロナウイルスの影響による社会状況を考慮して、メールにてお届けしています。ちょっと研究の手を休め、季節の移り変わりを感じたり、短い言葉の奥にある情景に思いを馳せたり、様々に楽しんでいただければ幸いです。

今年のテーマは万葉集

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2020年は万葉集から毎月一首の歌をピックアップしてお届けしています。昨年、新しい元号「令和」の典拠としても話題になりました。全20巻、4,500首以上がおさめられた歌集であり、作者は天皇から庶民まで幅広く、東北から九州まで日本各地が歌に詠みこまれています。また植物を詠んだ歌は約1,500首もあるそうです。

6月は「あじさい」が読まれた歌を取り上げました。梅雨の風物詩ともいえる紫陽花ですが、意外にも万葉集には2首しか詠まれていません。今回選んだのは、そのうちの1首。
紫陽花の八重咲くごとく八つ代にを いませ我が背子見つつ偲はむ
作者は大伴家持とも親交があったといわれ万葉集に7首の歌を残している橘諸兄です。

宴席で宴の主人である多治比国人の長寿を祝い詠んだ歌とされており「紫陽花が八重に咲くように末永く栄えてください。花を見るたびにあなたを思い出しましょう。」との意味が込められています。


英語で和歌を楽しむ

はがきに添えている英文は当社翻訳者によるオリジナルの英訳です。

Just as double-petal hydrangea bloom,
I wish you prosperity for many years to come
I will think of you every time I see the flowers

和歌を英訳するにあたって心がけているのは、言葉はもともと「音」なので、できるだけ原歌と同様に音がリズミカルに響くように、リズムのある言い回しを選ぶことです。 また、日本の俳句や短歌は言葉を凝縮したハイコンテクスト言語の極みであり、できるだけ短く訳すようにも努めていますが、この歌には八重と八つ代を重ね合わせていつまでも栄えるように、という気持ちが込められているので for many years よりも for many years to come と表現することで、リズムよく、末長くずっと、という印象が伝わるように訳しました。I will think of you と will を使うことで、強い気持ちを表しています。


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ところでこの歌には「紫陽花の八重咲くごとく」と詠まれていますが、皆さんはどのような紫陽花の姿を思い浮かべますか?

現在、私たちに馴染みのあるいわゆる手まり咲きの紫陽花の姿は、幾枚もの花びら(実際には萼片)が集まって美しく咲き誇り、繁栄を祝うにふさわしいイメージがあると思います。そのためこの歌を見ても特段の違和感はありません。

しかし当時の紫陽花は日本原産のガクアジサイと言われる種類だそうで、手まり咲きの紫陽花の記録があるのはもう少し後の時代のようです。ガクアジサイは額縁のように装飾花が周辺を縁取るように咲く種類で、豊かなイメージよりは、どちらかというと清楚な印象があるように思います。

万葉集に詠まれた少なさに限らず、その後の時代の源氏物語、枕草子や新古今和歌集にも紫陽花は登場しないそうです。当時はあまり関心がもたれなかった花のようですが、もしかするとこの宴を催した庭にはガクアジサイとは違った華やかな珍しい種類の紫陽花が咲いており、それゆえに作者の目を引いたのかもしれません。


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万葉の時代の紫陽花について調べる中で面白い文献に行き当たりました。
「我が国におけるアジサイの植栽に対する嗜好の時代変遷」
大澤啓志、新井恵璃子/日緑工誌,J. Jpn. Soc. Reveget. Tech., 42(2), 337―343,(2016)
紫陽花への嗜好の時代による変化がまとめられており興味深いのですが、この橘諸兄の歌について『歌中にある「八重咲く」を重弁花品種と捉えて当時既に栽培繁殖が行われていたという指摘もあるが、「花の豊かさをたたえて、七重、八重、九重と形容したのは当時からの一般的風潮であった」と解釈する方が妥当と言える。』との言及がありました。
このように「八重に咲くごとく」という表現自体、実際の八重咲きのことを表しているのではなく、八つ代に栄えることと重なる繁栄の意味として用いられていると解釈するならば、英語では最初のフレーズを少し変えて、以下のように表現することもできます。

Just like the flourishing hydrangea,
I wish you prosperity for many years to come
I will think of you every time I see the flowers

どんな紫陽花を見て「八重咲くごとく」と表現したのか、これは作者にしかわかりませんが、日本語も英語も声に出して言葉のリズムを感じつつ、1,300年前に詠まれた紫陽花の姿を想像してみるのも一興かと思います。