株式会社ゼニス

テキストが入ります。
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七夕(2020年7月)

ゼニスでは毎年テーマを決め、和歌・俳句・偉人の名言などにオリジナルの英訳をつけて、写真やイラストとともに毎月のはがきをお送りしています。今年は新型コロナウイルスの影響による社会状況を考慮して、メールにてお届けしています。ちょっと研究の手を休め、季節の移り変わりを感じたり、短い言葉の奥にある情景に思いを馳せたり、様々に楽しんでいただければ幸いです。

山上憶良と七夕

今月は七夕の和歌を選びました。
旧暦では7月は秋の始まりですので歌が詠まれたころの季節感は現代とは異なります。

霞立つ天の川原に君待つと い行き帰るに裳の裾濡れぬ

「霞が立つ天の川原で、あなたが来るのを待って行ったり来たりしているうちに、裳の裾が濡れてしまいました」という意味で、詠み人は山上憶良です。万葉集には数多くの七夕にまつわる歌があり、柿本人麻呂歌集や作者不詳のものに加え、憶良の七夕の歌も12首、巻八に収められています。

詠んだのは憶良ですが、この表現は女性(織女)の立場から発せられたものですね。
七夕を歌に詠む場合、大きく「第三者的な立場」から詠んだ歌と「牽牛・織女の立場」から詠んだ歌があり、憶良の12首は1首を除いていずれも後者で、「牽牛歌」が5首、「織女歌」が6首、と分かれるそうです。(諸説あり)
面白いのは牽牛歌と織女歌が歌われている「時」で、織女歌はすべて7月7日当夜の時に立って、二人の逢会に関して歌われており、牽牛歌は逆に初秋の当日以外の時に立って、会えぬ嘆きを詠んでいるのだとか。
憶良の歌は巻十の作者不詳の七夕歌と類似のものもたくさんあるそうですが、牽牛歌・織女歌をいくつか挙げますので読んでみて下さい。

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織女歌
・久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ
・天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも
牽牛歌
・たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき
・袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば

織女歌は「天の川に船を浮かべ今夜あなたが私のもとに来てくださるでしょうか」「天の川の波音が騒がしい、あなたが舟を漕ぎだされたようです」、牽牛歌は「小石を投げれば届きそうな向こう岸なのに、天の川で隔てられてどうすることもできない」「袖を振れば見えるほどに近いのに渡るすべがない、秋ではないから」といった歌意です。


このような歌は、憶良が自発的に詠んだものというよりは、宴の席で求めに応じて作られたものとされているようです。唐から戻った憶良が歌によって中国の七夕伝説を紹介し、そこから七夕歌が和歌の一つの伝統となっていったとも言われています。

ちなみに、七夕で天の川を詠んだ歌は多くあれど、「星空」を詠んだ歌は万葉集にはほとんどないのだそうです。古代においては中国の天帝思想をベースに天文観測とその結果による占い(占星術)は国家支配と深く結びついており、政治に近い人々たちの間では星空の美しさを気軽に歌にはできなかったのかもしれません。

いずれにしても、貧窮問答歌や子を思う歌など、社会派歌人のイメージが強い山上憶良ですが、七夕によせて女性の心の機微を歌う想像力豊かな一面が見える歌のように思われます。


While I come and go by the misty bank of the Milky Way
Just waiting for you to come
The bottom of my kimono skirt has got wet

「霞立つ天の川原」は misty bank of the Milky Way と流れるような英語に、そして come and go で織女がソワソワと河原を行ったり来たりしている様子を表し、Just waiting for you to come と just で待ちわびている様子を強調して表現しています。憶良に負けず、織女の心情を描きだす英訳になっているのではないでしょうか。


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ちなみに現在の7月7日は梅雨時期で、空を見上げて天の川を楽しめるチャンスはなかなかありませんが、国立天文台が「伝統的七夕の日」を「二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目」と定義して発表しています。
年により日が異なり今年2020年は「8月25日」だそうです。
そのころには少し秋を感じる風が吹き始めているかもしれません。夜空を見上げて、ぜひ英語で織女の気持ちをつぶやいてみてください。



以下の文献を参照させていただきました。
・大浦誠士「憶良の七夕歌」, 椙山国文学 (24), 25-51, 2000-03
・海部宣男「宇宙をうたう」, 中公新書, 1999