蝉の声(2020年8月)
せみ、ひぐらし
8月に入り全国的に暑い日が続いています。今月は蝉が詠まれた歌をお届けします。
石走る滝もとどろに鳴く蝉の 声をし聞けば都し思ほゆ
Cicadas sounding like a roaring torrent
Just make me miss the capital city
― 岩の上をほとばしり流れる滝がどうどうと音を立てるように、響き渡って鳴く蝉の声を聞くと、都のことが思われます。
遣新羅使のひとりであった大石蓑麻呂が、新羅に向かう航海の途上で安芸の長門(広島県呉市)に立ち寄った際に、奈良の都を思い詠んだものです。
遣新羅使とは日本の朝廷が新羅に派遣した外交使節です。万葉集の巻十五の前半は、阿倍継麻呂を大使とする天平8年(736年)の遣新羅使人たちの歌145首が収められています。これらの歌群は(おそらく)大伴家持によって実際の記録に創作性が加えられ、旅による別れの悲しみをテーマとしたドキュメンタリー・フィクションとして仕上げられているという見方があるようです。旅の途中、立ち寄った各地の情景に故郷や家族への思いを詠みこんだ歌が並びます。難波津を出航して瀬戸内海を進み、備後、安芸、周防、さらに豊前、筑前、肥前から壱岐、対馬へと、航路の先々で詠まれた歌は、正史にはほとんど記録のない遣新羅使の行程の記録としても貴重な資料となっています。

- 夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ我が来る 妹が目を欲り
- 恋繁み 慰めかねて ひぐらしの 鳴く島蔭に 廬りするかも
前者は出航前の歌。天候の影響などで出航できなければ下級官人は一時的に帰宅を許されることがあり、ひぐらしの鳴く生駒山を越えて妻に会いに家路を急ぐ歌のようです。この歌からも、この使節の出発はひぐらしの鳴く夏の終わりころ(6月)と考えられています。後者は「石走る~」の歌と同じ、出航後、今の広島県倉橋島に停泊した際の歌です。

他の九首と同様に「ひぐらし」であるという説があります。(『集中「蝉」を詠んだ作十首で、そのうち九首が「ひぐらし」とありここにのみ「セミ」とある。ここに「たぎもとどろに」とあるのは今の蝉のやうにも思へるが、同じ五首の中にも「ひぐらしのなくしまかげに」とあるので、やはりひぐらしを云ったものとみるべきであらう。(萬葉集注釋 巻第十五、澤瀉久孝、1965)』)
ひぐらしであるとすれば、カナカナカナ…と愁いを帯びた鳴き声に望郷の念が駆り立てられのでしょうか。
しかし「滝もとどろに」、つまり滝の音ほどの激しさで鳴きたてることを想像すると、騒がしいクマゼミのような鳴き声がふさわしいようにも思われます。蝉の大合唱はジリジリした夏の暑さを余計に暑苦しく感じさせるものですが、船旅の途中、陸に上がって久しぶりに聞いた蝉時雨は活気ある奈良の都の夏を思い起こさせる音だったかもしれません。
英訳では鳴き声が鳴り響くイメージを表すためsoundを動詞に用い、轟音をroar、急流の水がしぶきを上げて走る様子を「沸騰する」という語源からくるtorrentで表現しました。語感を軽快にし、蝉の声が恋しくさせる、という言い方で文を簡潔にまとめています。
ちなみに、後世にはその薄い翅が着物に例えられたり、抜け殻から空蝉という言葉が生じたり、さらには短い命のはかなさなど、様々に歌に詠まれた蝉ですが、万葉集の十首ではすべてが「鳴き声」について詠まれていることも興味深いことです。
今年も連日猛暑が続いていますが、暦の上では立秋が過ぎました。
二十四節気をさらに細かく、約5日ごとに初候、次候、末候と3つに分けたものを七十二候といい、動物、植物、昆虫や気象の細やかな変化で表されます。立秋の次候(8月12日頃~)は「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」とされています。
今年の夏は、花火大会、海水浴、甲子園大会など、現代の夏の風物詩とされているものも多くが中止を余儀なくされていますが、朝夕の虫の声に耳を傾け残りの夏を楽しみたいものです。
以下の文献を参照させていただきました。
・澤瀉久孝「萬葉集注釋 巻第十五」, 中央公論社, 1965
・伊藤博「萬葉集釋注 八」, 集英社, 1998
・多田一臣「万葉集全解 6」, 筑摩書房, 2010
・岩下均「虫曼荼羅: 古典に見る日本人の心象」, 春風社, 2004